人と関わっていると、誰しも一度は「この人、好きだな。こういう人だったら、関わってもいいのかもな」と思う瞬間がある。
僕にもそう思えた、ある人がいた。
だが、その相手の奥深くを受け止めたからといって、そこで関係が報われるとは限らない。
──今回は、その人の話をしよう。
今にして思えば、彼のアプローチは誠実だったとは言い難い。
恋人関係を既に築いている女性がいることを隠したまま、僕に悪友のような距離で近づいてきた。
「もっと責められたい」という欲が先に立っていた──本人がそう説明したその欲も、その通りなのだろうと思う。
けれど、「恋人がいることをインターネット上では公開していないから」を誠実に守りすぎて、不貞を働くのは誠実とは呼べない。
しかしながら、僕が見てしまったのは、そこだけではなかった。
その人が「責められたい」と貪欲に思うのは、単なる性癖の話だけでは済まなかった。
心の奥深くに根差していたのは、幼い頃にとある業界で働いていた親を自殺で亡くし、自分もまた同じ業界にいることへの、言葉にしにくい闇。
「このまま親みたいになるのかな」という彼自身の不安。
そういうものが、その人の中にはあった。
こういう孤独を抱えている人は、「ひとりじゃないよ」という言葉よりも、危険や背徳感や強い刺激を得ることができるもので、「自分はまだ生きている」を実感しようとすることがある。
全てがそうだと言うつもりはないが、心が麻痺している人ほど、麻痺した心が「生きている実感」を求めて、危険行為を試したくなるものだ。
そして、その人は、「恋人にも家族にも友人にも、誰にも上手く、自分の心の闇を受け止めてもらえなかった」と言っていた。
僕は彼の一連の話を聞いても、引くことはなかった。
分かるからだ。
「自殺で失った親がいる」という痛みが分かるということではない。
そういう「後ろめたさ」を話すときに、
- 「どうして親は死んだの?」という、間違った好奇心
- 「どうやって亡くなったの?」という、手段を問うような質問
- 「じゃあ、苦労してきたんだね」という、本人の痛みに触れる前の無難な先置きの気持ちの代弁
- 「それは大変でしたね」という、他人事への逃避
これらを向けられて、肝心の「苦労してきた本人の痛みを語る場所」として受け止めてもらえない──その痛みを知っているという話だ。
僕が彼にしたことは、「責めるためのスリルな遊びの提案」だけでなく、「どうして責められたいと思うのか、その根源への違和感や思い当たることはあるのか?」という問いかけだった。
そこから、彼の過去を少しずつ、彼の語れる範囲で聞いていった。
そのひとつひとつを、「その体験は、あなたの中ではどういう思い出なのか?」という形で分類していった。
結果として、「彼の来歴が、どうもその性癖に通じているらしい」ということを僕は理解した。
そして、そこまでを話したことで、彼は僕に対して特別視をするようになっていた。
最初は、それでよかったのかもしれない。
けれど、盤面そのものは最初から歪んでいた。
彼は真実を打ち明けた後、「恋人とは別れたくない。けれど、彼女とは違う『親友』の枠として、今後も関わりを持ちたい」と言った。
僕はそれを否定しなかった。
僕には理解はできないけれど、「恋人に向ける愛情と、友人に向ける愛情は違う」という彼の言葉を信じてみようと思ったからだ。
しかし、「彼女から、『あの人と関わるのをやめて欲しい』とまた言われた」とも度々告げられた。
それを告げる度に、彼の声が重く、小さくなっていった。
先に付き合っていたのは向こうだ。
だったら、僕が退くしかなかった。
彼が「彼女を大事にしたい」と言うなら、壊さない方を選ぶしかなかった。
その時、彼は言った。
「あなたが居なくなったら、僕は生きていけない」と。
当時の僕は、その言葉の重さをそのまま受けた。
それでも、彼女さんが
「特別扱いをされるのは自分だけでありたい」
「特別扱いをされる他人の気配を感じたくない」
と繰り返すたびに、壊れていく未来が見えた。
その言葉をまともに受ける彼を、僕は見ていられなくなっていった。
その言葉を、そのまま死の予告として受け取る気にはなれなかった。
少なくとも僕は、人間は口に出すほど簡単には死なないと思っている。
「ここまで自分の素性を暴いておいて、自分のことを捨てた」と彼に恨まれても構わない。
それでも僕は、僕が残ることで彼と彼女とその周りの空気ごと壊れるよりは、退いた方がいいと思った。
僕のことは、「あんな中途半端に心を乱してきた相手よりはマシだ」という比較の材料にされる方が、少なくとも彼女さんの心は穏やかでいられる。
僕にはその方が、最終的には彼のためにもなるように思えた。
今も彼が、彼女さんとの関係の中で壊れずにいられたらいいと、僕は遠くで願っている。
けれど、その願いが僕の中に残った虚無まで消してくれるわけではない。
綺麗事にする気はない。
美談で済ませる気もない。
何なら、嫌悪と恨みを抱かれたまま、思い出ごと、僕の存在ごと消え去ってしまえば良いと思っている。
──あれから4年経った今。
僕がこのことを思い返す度に感じるのは、深く受け止めたことと選ばれることは、まったく別の話だということだ。
相手を壊さないために退くことは、誠実ではある。
けれど、その誠実さが報われる保証はない。
受け止めた深さもまた、相手の選択を変える保証にはならない。
強制してはいけないし、個人の勝手な思い込みと感情の暴走で、相手の積み上がっている愛着や思い入れを壊していい理由にもならない。
壊さないために退いた側に残るものは、正しさではなく、達成感でもなく、ときどき思い出したように噴き出す、選ばれなかったことの空虚さと、何者にも代えられない穴なのかもしれない。
4月28日は、僕にとってはそういう日だ。
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