創作をする人の心には、いつも「誰かに届いてほしい」という感情がある。
これは、そんな感情と向き合ったときの記録だ。
──それは数年前のこと。
当時の僕は、SNSを通じて創作をしている人たちとよく交流していた。
創作の話になると、みんな真剣で、少しだけ不器用だった。
誰もが何かを表現したくて、各々の言葉で物語を綴り、各々の感性で語り、それを形として残す。
小説形式、漫画形式──あるいはそれ以外の方法など、人はみな各々のやりやすい形式で、彼らの抱く創作を形にしていった。
そんな中で、僕はひとりの絵描きの方と出会った。
彼女の描く絵は刺激的で、人によっては賛否が分かれるような作風だった。いわゆるNSFWイラスト(成人向け描写が含まれる作品)である。
僕はそんな彼女の作品が好きだった。興味本位で、彼女に一度だけ尋ねてみたことがある。
「あなたは、どうしてこのテーマで絵を描くの?」
彼女は少し照れながら答えた。
「こういう絵を描いているときだけ、寂しくないんです。自分が一番『生きている』と感じるんです」
その言葉が妙に心に残った。彼女にとって創作は、自分を確かめるための行為だったというのだ。
彼女の心は、絵を描くことで保たれているらしい。
──それは、痛々しくも美しいことだと当時の僕は思った。
そして僕は、気づけば彼女の心を支えたいと思うようになっていた。
けれど、そこから少しずつ歯車がずれていった。
最初の頃こそは、彼女が作品を見せてくれるたびに、僕が彼女の作品に対してどう受け止めたのかを感想として伝えるだけだった。
しかし、次第に「あなたにしか分かってもらえない」という言葉が彼女の口から増えていった。
孤独に苛まれたひとりの女性の描く物語が、徐々に「別の何か」を表現しようとしていた。
彼女はSNSでも僕の発言に反応し、他の人と話していると不安げな反応を見せるようになった。
自らを「粂井と一番仲良しだ」と周りに口にするようになり、そのうち僕の知らないアカウントから、僕の話題を拾う投稿が現れるようになった。
そんな彼女に僕は忠告した。
「あなたの作品も人柄も嫌いではないが、場と空気は弁えてほしい。
何より、あなたは僕が気づいていないと思っているかもしれないが、あの匿名のアカウントの中の人はあなただろう?
別人のふりをしなくても、あなたはあなたのまま、自分を見せていいはずだ。どうしてそんな試すようなことをするんだ?」
本当の事を言えば、彼女に何が起こっていたかは分かっていた。
これは悪意などではなく、彼女の中の不安があふれ出していたのだと思う。
「私を置いていかないでほしい」という気持ちが、形を持って行動に出てしまったのだ。
この状態になると、人のあふれた感情の暴走は止まらない。
彼女に冷静に、自分を見つめ直してもらうために、僕はやんわりと距離を取ろうとしたが、それが逆に彼女の不安を刺激してしまった。
ある日、彼女は自分の素性を明かした。
彼女は、ある有名なゲーム作品の制作に関わった経験があるという。
その立場を明かしてから、制作時の裏話や、社内での出来事を語ることがたびたびあった。
僕は彼女の話を聞きながら、どこか居心地の悪さを感じていた。
それは「すごい」と思うよりも先に、「それをこんな形で話していいのだろうか?」という違和感だった。
そしてもう一つ、決定的な瞬間があった。ある日の彼女は言った。
「法とかルールとか、そういうのって意味あるの? 本当の気持ちが一番でしょ?」
僕はこの言葉を聞いたとき、心のどこかで「もう無理だ」と感じた。
彼女は感情を真実だと信じ、ルールや倫理を“邪魔なもの”として見ていた。
けれど、僕にとっての創作とは、感情をどう扱うかを学ぶ行為だった。
感じたままを描くだけではなく、それを社会に出しても崩れない形にすること──それこそが創作の責任だと思っていた。
だからこそ、僕は彼女との間に線を引かなければならないと思った。
僕は彼女に伝えた。
「君を否定するつもりはない。でも、これ以上は支えきれない」
その言葉を最後に、連絡を絶った。
しばらくして、共通の知人を介して彼女からメッセージが届いた。そこには「もう一度やり直したい」と書かれていた。
僕は迷った末に、短く「分かった」とだけ返した。
けれど次の瞬間、彼女から届いたのは「通話しよう!」という明るい言葉だった。
そこには犯してしまった過ちへの反省や整理の痕跡はなく、ただ僕という存在を取り戻したいという欲求だけが見えた。
僕は──再び、彼女と完全に縁を切った。
それ以来、僕は「創作」と「人との距離」についてよく考えるようになった。
創作をする人は、往々にして自分の心を素材にする。だからこそ、誰かに理解されると、そこに強い結びつきを感じやすい。
けれど、理解は所有ではない。共感は支配の免罪符にならない。
彼女との出来事は、僕にとって痛みを伴う教訓だった。
どんなに強い情熱でも、境界を失えば人を壊す。
そしてどんなにルールを知っていても、感情を無視すれば心は乾く。
大切なのは、その間に立つ勇気だ。
創作は熱を必要とする。けれど、その熱を保つには冷静さも必要だ。
感情に飲まれず、理性に縛られず、どちらの声も聞きながら進むこと──。
それが、あの出来事を経て僕が学んだ、唯一の「境界の守り方」だと思う。
今もときどき、彼女が描いた線を思い出す。
まっすぐで、少し震えていて、どこか優しい線。
その奥にあったのは、きっと「分かってほしい」という祈りだったのだろう。
そして僕は、その祈りを真正面から受け止めすぎたのかもしれない。
創作も、人との関わりも、近づきすぎれば燃え、離れすぎれば冷める。
そのあいだに立ち続けることは、時にとても難しい。
でも、それこそが「つくるひと」としての責任なのだと思う。
だから今日も、僕はこの境界線の上で考え続けている。
付記:
本記事は過去の出来事をもとに再構成したエッセイです。
実在の人物・団体との関連を避けるため、固有名詞や状況にはフェイクを交えています。
本記事の目的は個人の批判ではなく、「創作と現実の境界」を記録として残すことにあります。
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